三番札所、常泉寺の金剛力士@秩父霊場巡礼の旅2013
この直前に立ち寄った光明寺では、ブロンズの金剛力士様が山門の中ではなく外にいらっしゃいました
http://photozou.jp/photo/show/1934405/190731123
が、ここでも外で威容を誇っていらっしゃいました。
今度は石で出来たものですね。どうやらこれはそんなに古そうじゃないですね。
二枚の写真を一枚にまとめたので、拡大版でご覧になった方が良いかもしれません。
http://photozou.jp/photo/photo_only/1934405/190825015
アルバム: 秩父霊場巡礼の旅
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コメント (8)
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やはり、見る度にもっと強くならないとと思いますね。
心の強さ。
魂の強さです。
それが表に現れているというか、その在り方を表しているというか。
気持ちが引き締まります。2013年10月31日 21:39 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)
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まるで心の中を見透かされているような気がします^^
私の場合、雑念が多いので気持ちが引き締まるようです^^;2013年10月31日 22:11 みゆき(多忙&体調不良につき、暫くお休みしますです) (61)
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かっこいいので、金剛力士は好きです♪
比較的、新しいのでしょうか。
外にあるのに、きれいですね^o^2013年10月31日 22:33 cobuchan(リハビリ散歩中) (19)
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あいあいさん、このあたりから、自分の弱さを感じてきました。
今思えば、般若心経を何十回も読む事で気づいた事、それは集中して読むことで、初心者としての、一番最初の段階、意味論よりまずはふりがなが振ってあるのだから、間違えずに集中して読む事が、なかなか難しかったことです。
それは演奏するという自分にとってとても通じる大事な事でした。
で、最初の二つは、最初のお寺と、結構きつい坂を登った山寺でしたから、まだ「撮るぞ撮るぞ」と息巻いていたのですが、もしかしたら(まだ全部把握してないけど)撮り方がここくらいから雑になったかもしれません。
(この次が既に出した石仏が沢山あった金昌寺でしたからまた目覚めたけど)
表面的に見れば、刺激のない穏やかなお寺だったということもありましょうが、ある意味、和尚さんから「公式記録員」と正式に任命されていたらもっと真剣に撮ったかもしれないけど、自分のためだけに撮っていたからこの時もバスにSIGMA DP2 Merrillは忘れていたし、その辺が、考えようによっては、巡礼の難しさというか、お経を読むように、すべてのお寺で真剣に撮りまくるということも修行のひとつだったのだと今になって気づきました。
観音堂の細工の細かさを見たらやっぱりもっと精細に撮りたかったです。
それを金剛力士様達に諫められたような気がしました。2013年11月1日 10:36 白石准 (40)
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みゆきさん、雑念が無い人は居ないし、雑念の中から真実を思い出すこともあると信じています。
ニュートンなんかもそれだったのでは(爆)
ただ、子供の頃、砂場で遊んでいたらいつの間にか陽が暮れていたというくらい集中していたころ、それは凄い集中力で他の事が見えてなかったわけで、演奏していてもどれだけ音楽の中に入り込めるかが大事ですね。
余りに集中しすぎて間違えることってあったりします(爆)
まあそれも集中してないと外からは言われてしまいますが、自分としては、余りに入りすぎてコントロールすることさえ忘れてしまったというわけで、他の事を考えていた間違いとは違うと信じています^_^2013年11月1日 10:46 白石准 (40)
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cobuchanさん、これが50年後とかにはまた良い色になっているのでしょうね。
2013年11月1日 10:57 白石准 (40)
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こういうの見ていると、自分でも彫ってみたくなります(^^
気持ちが洗われるんでしょうね〜2014年5月16日 00:23 退会ユーザー
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テリーさんは彫刻のこころえがおありですか!
凄い。
これを自分で掘るとなると相当な労力ですよね。
たしかに、音楽も彫刻も絵画も建築も、宗教に関わるものを制作するという事自体、それを鑑賞する人間の数百倍、気持ちが洗われるのでしょうね。2014年5月16日 07:54 白石准 (40)
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